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2008年5月14日 (水)

三宅島その3 島の生活

火山ガス情報が島内放送で日に何度も流され、高濃度立入禁止地区が集落を寸断していて、依然厳しい状況が続いているにもかかわらず、島の人からは、落ち込んでいる様子は感じられませんでした。

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↑集落を寸断している高濃度地区。通過はOK。

 

とはいえ、高濃度地区に入ると、全山枯れ果てていて、旅行者ながらも胸が詰まる思いがします。

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↑中心市街地だったのだが。

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↑たまたま家が高濃度地区内だと住むことができない。

思い返せば、昔行った時も、NLP施設誘致賛成派と反対派で島が真っ二つに分かれて激しく対立している大変な時でした。しかし、双方が看板を立てて主張し合っていて、殺伐としていつつも、まるで楽しんででもいるかのような、明るさが感じられたものでした。

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↑看板コミュニケーションがお得意?

 

火山に翻弄されつつも、島の恵みの中で暮らしていると、失ったことにわだかまりを持たず、前向きに取り組んでいく島民性が醸成されるのかもしれません。

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↑83年噴火の溶岩流が塗り重ねられている。2000年噴火の火砕流も書き足されるのだろうか。

 

名物牛乳せんべいも復活してました。「牛乳は東京から持ってきてるのだけど」、との答えが寂しそうで、聞いてしまったことをちょっと後悔しました。割れせんべいをたくさん、おまけしてくれました。ごちそうさまでした。

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↑↓素朴でおいしい牛乳せんべい

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