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2009年4月 8日 (水)

「狂雲集」柳田聖山訳(中公クラシックス)

狂雲集を読む。

頓智の一休さんの作品が500点あまり。確かに大変な智識であり、どんな設問にも的確に反応している。ただ、橋の真ん中を渡る的ななぞなぞではない。先達の僧の言動録の智識を駆使して表現しているということ。例えば、

婬坊に題す
美人の雲雨、愛河深し、楼子老禅、楼上の吟。
我に抱持啑吻の興有り、竟に火聚捨身の心無し。(140)

これなどは、ひょっとしたら、売春宿にしけこんでいたところを取り押さえられて、「生臭坊主め、売春宿にどんな禅の境地があるというのか」、と追及されたときに、とっさに出た、一休さんの答えなのかもしれない。

「美人」には、君子、仏祖に譬える意味もあるという。「雲雨」といえば、楚の襄王が神女と一夜を契った故事を思い浮かべられなければならないそうで、「愛河」も経典に出てくる言葉なのだそうだ。前段後半は、楼上の吟を聞いて悟った楼子和尚の故事を踏まえたもの。抱持啑吻も、火聚捨身も涅槃経に出てくる言葉、とのこと。

解説によれば、破戒僧一休の破天荒な振舞いは、当時の禅宗の退廃を批判してのことだという。将軍家や皇室の権力との癒着、金権腐敗、果ては同性愛や尼僧との愛人関係、といった現実があるのに、それを隠そうとする宗門当局への、ピュアな反抗、といった見方もあるそうだ。

でも、この書を眺めていると、一休さんも結構トップの座に固執してるようだし、子もあったそうだとなると、どんなもんかなあ、と思ってしまう。

この書の圧巻は、最後の数首、森女が登場するあたりで、卑猥な隠語が連発する痛快作が並び、色呆け坊主ついに発狂したか、と思わずにはいられない。

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