龍安寺
暑い暑いとは聞いていましたが、本当に暑い京都の夏。すぐそばに世界遺産がたくさんあっても、そこまで出歩く気になかなかなりません。
それでも、ただごろごろしているだけというのもどうかということで、比較的涼しくて影の長い朝のうちにちょっと観光、ということで北野の龍安寺に行ってみました。
町中は早くも蒸し暑くなっていますが、参道の木陰は気のせいか涼しく感じられます。
本物は、予想よりこじんまりしたものでした。方角の近い天竜寺と混同していたようで、どうも実物を見るのは、初めてのようです。
Zenの真髄のように喧伝されて、そのために世界遺産に登録され、外国人観光客も多いのですが、はるばる見に来て、納得しているのでしょうか。
正直な感想は、曼殊院で観光タクシーの運転手さんに聞いた、枯山水は、方丈の奥まで外光を取り入れるために南面に白砂を敷いたもの、というのが本当のところのような気がします。広い縁側の先に更に長い庇を伸ばすと、夏は、市中はべったりと凪いでいても、ここだけは、常に涼しい風が通ります。ただ、そうすると、大きな方丈の中心は薄暗く、日の光を届けるためには工夫が要ります。
いわば、熱をさえぎり、光だけを取り入れるエコな工夫なのだと思います。
白い小石を敷き詰めるとしたら、降り積もる枯葉を除去するため、箒で掃くでしょうし、そうなると、気の利いた小僧さんなら、まあ、こんな風に掃き目をつけるのは自然でしょう。
立原正秋も「日本の庭」で、そんなようなことを書いていたと思います。
あと、蚊を遠ざける効果もあるような気がします。
ともかく、そういう、建築当時やその後のメンテナンスに携わる皆さんの気配りが行き届いていて、とても居心地のよい空間になっています。
つまり、建物ばかりでなく、参道からの案内も適切でわかりやすく、また、例えば、玄関の靴脱ぎも、心配ならこのビニール袋に入れて、とか、外国人向けにすのこに土足で上がるなとか、団体はこちらから、などなど、鬱陶しくならない範囲で参拝客間での余計なストレスを回避しているなど、全体に、気配りが行き届いていて、それだけで幸せな感じがします。
アートだけれど使い勝手の悪い施設はたくさんありますが、ここは、全体に非常に調和がとれていて、Zen的な厳しさとはちょっと違う気もしますが、実生活に根差した総合芸術、という観点からは、鑑賞の価値があります。
風が涼しく、年季の入った無垢板は床の肌触りがよく、外の眩しさに対して内部のほの暗さがリラックスできるようで、坊主になってもいいから、寺に住みたいものだ、と思ってしまうくらいでした。(ちょっと動機が不純すぎますが。)
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