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2012年10月26日 (金)

壬生狂言ふたたび

10月の連休、壬生寺で壬生狂言が上演されます。
春4月の上演をやや偶然見て以来、お盆の六斎
念仏など、あれこれ見てきましたが、秋の壬生狂言も見にいって、5番と最後の棒振りまでたっぷり堪能しました。

最初は「賽の河原」、仏教説話物です。

生前悪いことをしたのが閻魔大王にばれて、鬼に舌を抜かれ、釜ゆでにされ、むしゃむしゃ食べられてしまいます。最後は、壬生寺の御本尊でもあるお地蔵さんに救われて、杖にすがって成仏、というストーリーです。
亡者は、絶えず手を胸の前で震わせて恐怖を表現しています。真っ赤な舌を抜かれたり、茹であがると釜から出てきたのは縫いぐるみで、恐ろしいながらもユーモアがあるのが面白かったです。

2番目は「土蜘蛛」、アクション物です。
京都にいくつかある念仏講の団体のどれもが上演する演目ですが、解説本によると、この壬生狂言が一番たくさん糸を出すのだそうです。舞台からダイブすると、思わず客席がどよめきます。
3番目は「大仏供養」、シリアス物、悪七兵衛景清が主君の敵、源頼朝を討とうとする話です。
第1幕は、旅姿で老母に暇乞いする場面。
母親は、面は白髪で、衣装は質素なもの、座る姿も武将とは違う凛とした風情。
一方の景清は、赤ら顔で上背もあり一直線な豪傑風。
その対比が象徴的で、老いた母と、死地に向かう息子との別れの情景をよく表しています。
ついに、老母が説得され、水杯で送り出すに至る場面は、感動してしまいました。民俗芸能と侮ってはいられません。能よりは具象的ですが、別離の悲しみの様式化された表現に、思わず引き込まれてしまいました。その後、大げさに抱き合って別れるのは、新劇風過ぎてやや興ざめでしたが、これも西洋演劇とは違い飽くまでクールな狂言ならではの演出なのかもしれません。
第2幕は、竹箒を持った神官姿で、頼朝一行に切りつける場面ですが、登場人物の面と装束がそれぞれの性格と役回りをよく表現していて、なるほど、と思いました。
まず、頼朝は、春の演目の「焙烙割」に出てくる代官と同じ生真面目で融通の利かない為政者風。
次に、筆頭の家来、畠山重忠は、面は頼れるおじさん風で、衣装も鮮やかだけれど温かみのあるもの。結局このおじさんの計らいで命は助かることになります。
そして、その部下2人は、びしっとした黒地にきりりと白く鳥や唐草の文様のある長袴で、面もいかにもこわもてで、ひたすら強くて怖そう。
その手ごわそうな面々が酒盛りをしている前で竹箒を振りながら、近づいては思いとどまり、を繰り返しつつタイミングを窺う景清。迫るたびに、一同の胡散臭げな視線が痛い。
意を決して短刀を抜くが、畠山重忠に遮られます。
頼朝は討つように命じて下がり、重忠以下の3人が、袴をたくしあげ、上掛けを脱ぎ捨て、裃をめくり、襷をかけます。この、戦闘態勢を整えるのに時間をかける演出によって、対決が不可避になるところまで景清は追い込まれていきます。
ロミオと
ジュリエットで、ロミオがティボルトを殺してしまい両家融和の途が途絶えるのを思い出しました。

見ていて思ったのは、狂言というジャンルにおいては、主役は、大将の源頼朝ではなく、家来の畠山重忠以下と景清とになります。「賽の河原」の閻魔大王、「土蜘蛛」の源頼光、「焙烙割」の代官も同じで、主君というか為政者は、主役ではなく、ストーリーの中心は、被支配者の側である市井の一住人或いは抵抗勢力、と、支配者の側についた家来、ということになります。つまり、狂言の基本構造は、「支配者」と「被支配者」と「支配者の従者」の3者の物語、という図式で、このうち主役になるのは、「被支配者」と「支配者の従者」の2者、のようです。これは、いってみれば「支配者」が存在することによって、期せずして「被支配者」と「支配者の従者」とに色分けされ、互いに争うことになってしまった同じ庶民の物語、と一括りにできなくもないと思われます。
穿った見方をすれば、支配者が変遷する中、身を滅ぼさないように立ち回らなければならない、京都町衆の処世術を示唆しているのかもしれません。
4番目は「大原女」、コメディー物です。
美人三姉妹を連れた肝っ玉母ちゃんと、花見に来た旦那のお供の男との絡みが中心です。途中で男女4人のダンスもあり、華やかです。
5番目は「橋弁慶」、世俗劇です。
千人切りをしているのは弁慶ではなく牛若丸の方になっていて、制止を振り切って戦いを挑む弁慶が負けて家来になる、ということになっています。
繰り返す殺陣シーンで盛り上がりますが、どこか滑稽です。
牛若丸は、殺陣の度に持っていた扇を放り投げるのですが、一度、その扇が舞台の下に落ちてしまい、後見がダッシュで取りに行くという場面もありました。無事、次の殺陣の前までに牛若丸の手に戻りました。
最後に、「棒振り」、能でいう「翁」のような儀式的なものです。
全キャストが直面で現れ、「チョウ、ハッ、サッサイ」と、意味は分からないらしい掛け声をかける中、棒を振ります。にわかに京都風、祇園祭風になります。
先日見た六斎念仏の棒振りは、アクロバティックすぎて、見ていて身の危険を感じましたが、今回のは、曲芸ではなく、お祓いの色が濃い締めの一幕でした。
最後は、秋の日がだいぶ翳り、涼しくなっていました。黒雲が広がり、冷たい風が吹きつけるようになっていました。

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