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2014年12月

2014年12月 6日 (土)

日フィル定期:外山雄三自作指揮など

外山雄三:交響詩「まつら」
外山雄三の民謡をモチーフにした曲は、さしずめスメタナやグリーグのような国民楽派のような、民族的高揚を感じます。

独奏小山実稚恵ベートーベン皇帝
さすが安定感があります。

トッカータとフーガ、ストコフスキー編曲
こてこてのロマン派演歌調。

パッサカリアとフーガ、レスピーギ編曲
鮮やかで軽やかでパステル調。

日フィルは、鮮やか軽やかパステル調の方が、生き生きしていて相性がいい、と感じるのは、私がレスピーギびいきなせいだけではないと思います。

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2014年12月 5日 (金)

QOL(続)

このように、命の「量」と「質」とを分けて考えるとき、「量」(太さ・長さ)の方に気を使う人を時々みかけます。

健康診断で数値にマークがついたり、耳鳴りや肩こりといった不調があるたびに、猛烈に研究し、医者にかかりに行く知人がいます。
初動が適切だったためか、単に幸運だったのか、今でも元気です。
他にも、アスレチックジムに通ったり、美肌に大金を投じたりする人はたくさんいます。

「成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するやうになつて以來、人間は眞の幸福が何であるかを理解し得なくなつた。自分の不幸を不成功として考へてゐる人間こそ、まことに憐れむべきである。」

と、戦前に生きた三木清は嘆いています(「人生論ノート」)。

「幸福は各人のもの、人格的な、性質的なものであるが、成功は一般的なもの、量的に考へられ得るものである。」

とも述べています。
してみると、「命の質」を「幸福」、「命の量」を「成功」と、それぞれ置き換えてみてもいいでしょう。


「成功」と「幸福」の区別については、今は、当時よりも普及しているように思えます。
ハリウッド映画のような華やかなサクセスストーリーよりもむしろ、スローライフへの関心の方が高いのではないでしょうか。

これは、社会が豊かになったので、量的に計測しうる「成功」の観点では、多くの人が成功している状態なので、幸福との差異を意識する場面が少ないからのように思われます。
今日でも、運悪く、量的に計測しうる「成功」の観点で、豊かさの恩恵から漏れてしまっている人はいます。ホームレスだとか難病の患者など。
こういう方の周囲においては、三木清の時代と同様の成功概念と幸福概念との混乱がみられることがあります。

例えば、ホームレスや難病患者と自分とを比較することで、自分が幸福だと考えたりします。無論誤解です。

ホームレスや難病患者を金銭面で支援して成功に導くのは、多くの場合正しいことです。
ただし、援助を受ける当のホームレスや難病患者の幸福追求へのさりげない配慮は忘れてはいけないでしょう。
例えば、ホームレスを収容して暖かい部屋と食事を提供しても、戻ってしまう人が多いようです。
成功と幸福とは別問題だからでしょう。


「一種のスポーツとして成功を追求する者は健全である。」

三木清はこうも言っています。
冒頭の健康マニア氏も、今のところ、毎回成功を勝ちとっていることもあり、健全です。
「一種のスポーツとして」の節度を守っているからです。 
命の「質」に影響のない局面であれば、「量」を追求するのは健全な娯楽といえるでしょう。

やがてもっと年をとり、成功をつかみ損ねるようになったとき、例えば、その時点の医学水準では治せない病気と告げられたとき、彼がどういう行動をとるのか、については、少し興味があります。私が彼より長生きしないといけませんし、そもそも余計なおせっかいですけれど。

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2014年12月 3日 (水)

QOL

QOL(生活のクオリティー)という言葉を最近よく耳にします。
普段あまり意識しないので、いざ、突然、自分や自分の親しい人が病気になったとき、どう考えたらよいか分からなくなって混乱してしまうことになるのでしょう。


生活を、量と質に分けて考えてみます(Quality Of LifeとQuantity Of Life)。
「命の量」(長さ・太さ)は自分では完全にはコントロールできません。
暴走暴飲で縮める人もいるけど、どんなに節度を守っていても短命な人もいます。その逆もあります。

ですが、「命の質」は完全にコントロールできます。
それは、「命の量」が計量的無名的なのに対し、「命の質」が主観的個性的だからです。

無菌室内にとじこもり、栄養剤だけを摂取し続ければ長寿記録を樹立できるかもしれませんが、それがその人の「命の質」を高めたのかどうかは、その人次第でしょう。

「命の量」は生存期間や白血球数などの検査数値で客観的に計測できます。
したがって、それを多くする方法は、他人に教わることができます。(限界はありますが)
しかし、「命の質」は一人ひとり尺度が違うので、他人のまねをすればいいというものではありません。
自分で考えなければなりません。

また、自分に与えられた「命の量」は、刻々と変化するので「命の質」を高める方法もまた、刻々と変わっていかなければなりません。だから難しい。
生活面で追求するべきは、究極的には、命の量よりも命の質だと思います。

命の量を中心に考えたら、ボクサーや探検家や消防士にはなってはいけない、ということになってしまうでしょうが、ボクサーや探検家や消防士を職業とすることが不幸なのか、職業とするのをあきらめることが幸福なのかは、その人次第でしょう。
職種別の平均余命などの統計や、検査数値などからは判断できません。

倫理を科目化するのなら、こういうことを予め学んでおくのがいいのではないかと思います。

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