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2014年12月 3日 (水)

QOL

QOL(生活のクオリティー)という言葉を最近よく耳にします。
普段あまり意識しないので、いざ、突然、自分や自分の親しい人が病気になったとき、どう考えたらよいか分からなくなって混乱してしまうことになるのでしょう。


生活を、量と質に分けて考えてみます(Quality Of LifeとQuantity Of Life)。
「命の量」(長さ・太さ)は自分では完全にはコントロールできません。
暴走暴飲で縮める人もいるけど、どんなに節度を守っていても短命な人もいます。その逆もあります。

ですが、「命の質」は完全にコントロールできます。
それは、「命の量」が計量的無名的なのに対し、「命の質」が主観的個性的だからです。

無菌室内にとじこもり、栄養剤だけを摂取し続ければ長寿記録を樹立できるかもしれませんが、それがその人の「命の質」を高めたのかどうかは、その人次第でしょう。

「命の量」は生存期間や白血球数などの検査数値で客観的に計測できます。
したがって、それを多くする方法は、他人に教わることができます。(限界はありますが)
しかし、「命の質」は一人ひとり尺度が違うので、他人のまねをすればいいというものではありません。
自分で考えなければなりません。

また、自分に与えられた「命の量」は、刻々と変化するので「命の質」を高める方法もまた、刻々と変わっていかなければなりません。だから難しい。
生活面で追求するべきは、究極的には、命の量よりも命の質だと思います。

命の量を中心に考えたら、ボクサーや探検家や消防士にはなってはいけない、ということになってしまうでしょうが、ボクサーや探検家や消防士を職業とすることが不幸なのか、職業とするのをあきらめることが幸福なのかは、その人次第でしょう。
職種別の平均余命などの統計や、検査数値などからは判断できません。

倫理を科目化するのなら、こういうことを予め学んでおくのがいいのではないかと思います。

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