「よろこびの歌」宮下奈都
同窓会の案内も来たことだし、青春群像小説で何か、と知り合いのレファランサーにリクエストしたら推薦してくれました。
直前に読んだ「脱限界集落株式会社」に比べると文学、という感じがしました。
「もしドラ」もそうですが、伝えようとする「話」があってそれを伝えたい場合に、最適な伝達手段として小説という形式を選択したにすぎないときには、文学的な「修辞」はノイズとして退けられます。
一方、文学としての快楽を提供することが主目的である場合には、「話」自体も、高い文学的快楽を提供するための素材の一つであり、「修辞」上の技巧の方により重きが置かれるでしょう。
「もしドラ」も最近いくつか読んだ地域おこし系小説も「話」は参考になりましたが、文学的快楽というのとは別物でした。
その点で、本書は、なんというか文学的な香りがするという意味で、文学を志向するという意味で、本格的な小説でした。
なにしろ、「話」の内容は女子高生の些細な挫折や屈託とその克服のきっかけ、といったようなものであるので、おじさんにとっては、ほぼ無価値。とりたてて仕事上女子高生と接する必要性があるとかといった事情もない。
なので、もっぱら修辞上の文学的快楽を味わいましたが、かよかったです。
思うに、私にとっては、この「話」と「修辞」とが3対7くらいがちょうどいい割合なようです。
これが0対10になって「話」が皆無で延々と個人的な心情を聞かされるだけだと、さすがに苦痛です。
かといって、10対0だと、話の中身を知るだけで文学的快楽は得られません。
ということで、話3・技巧7、くらいの淡い小説が、小説本体としては好きです。
例えば、井伏鱒二、国木田独歩と、夏目漱石なら草枕、といったところです。
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