映画・テレビ

2011年6月 1日 (水)

(映画)はやぶさ

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土曜日に三条しただの八木が鼻という絶壁の中腹で子育て中のハヤブサと、巣の中の白い羽毛覆われた雛を見たばかりだったので、(上の写真のどこかに納まっているはずなのですが、、、)

映画はやぶさを見に行こう、と誘われたときは、映画館に入るまでは生物のドキュメンタリーだとばかり思っていました。ポスターを見てびっくり、小惑星イトカワを往復してきた探査機ハヤブサのドキュメンタリーでした。

無限の宇宙空間の中を行く「彼」の孤独な旅を思いやり、イトカワへの着陸の苦難と失敗を共感し、再チャレンジを激励し、成功に歓喜し、地球へ帰ろう、と呼びかけ、そして、再び地球を見てカプセルを放出し、最後に途切れかけた地球の映像を送って、燃え尽きる様には万感が込められており、思わず感動してしまいました。

宇宙空間の広大さ、その中にぽっかりと浮かぶ巨大タンカーより少し大ききいくらいの天体イトカワの薄ら寒いほどの質感が実感でき、ハヤブサの旅の全貌が体感できました。

もちろん、技術力を駆使し、ぎりぎりの判断をしながら、苦労して旅をさせていたのは地上のスタッフなのですが、そちらはまったく登場させず、ハヤブサの方が主役になるという描き方は、ドラえもんも、アトムも、ロボコンも、アシモも、ロボットを容易に擬人化してしまう日本人独特の描き方だと思いました。

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2010年2月15日 (月)

(映画)インビクタス-負けざる者たち

インビクタス-負けざる者たち(リンク先はオフィシャルサイト。音が出ます。)を見ました。

映画の芸術において、私は、あらすじはさほど重視しません。もっともそれは、フィクションの場合です。事実に取材した映画の場合は、事実の切り取り方は重要です。
もちろん事実に基づいているで、あらあらのあらすじには工夫の仕様がないということには変わりはありません。

社会には感動が満ちています。
町内会の祭り、学校のクラブ活動などなど。
MHKのプロジェクトXのように、それを発見してうまく切り取ることができれば、もはや成功の一歩手前ということができるでしょう。

この映画で、クリントイーストウッド監督が着眼したのは、95年のラグビーワールドカップ南アフリカ大会。
ネルソンマンデラが大統領に就任した直後のこと。

南アフリカにおいてラグビーというのは、白人の遊びであり、アパルトヘイト時代の白人支配の象徴だったので、黒人はむしろ自国のチームが敗れ白人が悔しがるのを希望している、そんな状態でした。

そういう事情もあってか、ワールドカップを前に、南アのチームは奮わなかったのですが、
大方の予想に反して、とうとう優勝してしまいました。

というのが素材。

その素材に関する事実のうちから、どこをどう切り取るかで、胸を張って著作権を主張できる映画の芸術になるか、それとも、構成自体には著作物性を認め得ない単なる記録報道に留まるか、が決まると思います。

事実といいっても、大会の運営、チームの作戦、政府の施策、市民の感情などなど、取り上げ始めれば無限です。

皆さんなら、2時間分として何を切り取って示すだろうか。

イーストウッド監督は、マンデラ大統領の朝の日課の散歩とそれを警護するSPと、から始めました。

まったく、映画の題材など無数にあるのでしょう。その1つに大金を投入させることに成功し、壮大な映画に仕立て上げてくれた監督に、感謝です。

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2009年12月22日 (火)

「犬と猫と人間と」

ドキュメント映画、「犬と猫と人間と」を見てきました。

以前、避妊手術をせず、猫が子を生むたびに海に投げ捨てる、という話がスキャンダルになったことがありました。野良猫にえさをあげる、あげない、犬の飼い方、などなど、この分野は、時に感情と結びついて、意見が大きく分かれることが多いということができると思います。

そんな分野の、いろいろな人の取り組みを取り上げながら、この映画は、特定のイデオロギーに偏ることなく、いたずらに涙を振り絞らせようとするでもなく、こぶしを振り上げて不条理を訴えるでもないので、白けることなく、最後まで見続けることができました。情報量が多くて、いろいろ考えさせられました。

山梨の山中で、捨て犬を果てしなく引き取り続けた結果、極めて劣悪な飼育状態に陥り、行政ともめている、という話もワイドショーで見た覚えがありましたが、この映画では、その施設の現状を採りあげています。人のうわさは忘れられやすいのですが、大量の犬が消えてなくなるものではなく、今も生きていました。それに関係する人たちのコメントを拾っています。

徳島の崖の途中で動けなくなった、がけっぷち犬が大きく報道され、野犬として保健所送りになったときに、引き取り希望者が殺到したという話題もありましたが、この映画では、その時の抽選会場で盛り上がる取材陣を後ろから撮っており、ちょっとおかしさがありました。
その同じ会場で、捨て犬の飼い主を求める子供たち。引き取り手が見つかるまで、みんなで裏の薄野原で育てているのだとか。子犬子猫を守り育てたい、と思うのは子供を突き動かす共通の本能みたいなものなのでしょう。

保健所でどのように処分されるかも撮っています。保健所としては、映されたくなかったでしょう。現に、この徳島のがけっぷち犬が収容されていた保健所などは、住民の反対にあって施設内に安楽死させる装置を設けることができませんでした。それでどうしたか、というと、ちょっとブラックユーモアで、まあ、映画をご覧ください。
保健所の方のコメントもありました。いくつかの動物保護団体関係者のコメントもありました。いずれも、正義の味方に祭り上げるでもなく、悪の手先と貶めるでもなく、それぞれの立場で苦悩しつつ努力している姿を等身大に描いているので、重い話ながらも、見終わったときは、どことなく爽やかな印象が残りました。

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2009年12月10日 (木)

(映画)タイマグラばあちゃん

ポレポレ東中野に映画、タイマグラばあちゃんを見に行きました。

これまで、お年寄りが頑張ったり悲しんだりするシーンにはたいへん弱かったのですが、いつの間にか気の持ちようが若者の方から年寄りの方に移る年代にさしかかったのか、今回は、自分の老後に引き寄せて考えてしまいました。

死をどうやって迎えるか、世界クルーズに出かけるか、老人ホームでぬくぬくと過ごすか。でも、思ったより長く生きながらえるかもしれません。それも2、3年なら惰性で過ぎてしまうかもしれないけれど、ひょっとしたら100歳近くまで10年も20年も、なんてこともないとは限りません。そうすると、旅の途中でお金が尽きるかもしれないし、日向ぼっこだけでは不完全燃焼に感じるかもしれません。

山の奥深くに住み、畑で豆やじゃがいもを作り、薪を積み上げ、味噌を作る。
味噌作りといっても、薪ストーブで豆を茹で、たらいに長靴でそれをつぶし、固めて藁で天井から吊り下げ、春になったらそれで味噌を仕込み、3年寝かせます。
私も味噌を作っていますが、量も少なく、茹でるのにはガスを使い、潰すのにはミキサーを使い、仕込みには買ってきた麹を使っています。それがなんとも空虚な上滑りなものに思えてしまうほど、おばあちゃんの生活は充実しています。

大きな袋を大きな木の万力のような道具にかけて豆乳を搾って豆腐を作って、食べ、じゃがいもを凍らせて、沢の水にさらしてあく抜きをして、粉にして捏ねて鍋に入れて、食べる、そんな生活がなんとも満ち足りたように感じられました。

こぶしの花のつき具合に一喜一憂し、畑の奥で遊ぶ狐の子に顔をほころばせ、早池峰山を仰ぎ、青葉を吹き抜ける風を感じ、雪を迎える。

このような生活なら、結果的に何十年続くことになっても充実し続けていることでしょう。そして最後に体が動かなくなったところで、野たれ死ぬ、というのが本当は理想なのでしょうが、まあ、現代ではそれは無理としても、なるべく直前まで、充実した生を楽しみたいものです。
そのためには、いらぬお節介から逃れるために、なるべく社会から隔絶された、山中なり孤島なりに隠棲するのがいい方法なのかもしれない、そんなことを考えながら見ました。

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2009年11月24日 (火)

(映画)「大きな家 タイマグラの森の子どもたち」

23日に「大きな家 タイマグラの森の子供たち」ポレポレ東中野に見に行ってきました。

岩手県の遠野は、遠野物語の舞台にもなるような、どこか不思議な場所ですが、タイマグラは、そのまた奥です。

早池峰山は、北上山地の最高峰で、蛇紋岩の山なので、日本版エーデルワイスを始め独特な高山植物が多い面白い山で、私は2回登ったことがあります。最近はマイカー規制でふもとの駐車場からシャトルバスが運行しているのですが、一度、温泉帰りに最終バスを逃し、キャンプ場まで歩いたことがありましたが、蛍が飛び交い、生き物の気配が濃厚な夜でした。

タイマグラはその早池峰山のさらに奥です。残念ながらまだ訪れたことはありませんが、この映画を見て、そのうち是非行ってみようと思いました。

ごく普通の東日本の山村の生活が描かれています。
普通というのは、雪が解けて土が見え小川が現れると楽しい気分になり、木々の芽が萌えるとフキノトウ、カタクリ、ニリンソウが咲き、新緑がまぶしくなると強い風が吹いたりエゾハルゼミが鳴いたりして、ドングリや栗、栃の実が落ちれば山は紅葉に染まり、葉が落ちればカメムシやテントウムシが家に入り込んできて、そしてまた雪に覆われる、そういう中で、冬のための薪を用意し、鳥や獣、昆虫などと出くわし、そいつらと付き合う、そんな生活です。

谷川連峰の新潟側の森によく行くのですが、よく似ています。たぶん、都会で生活していた人が田舎暮らしをするようになった、そんな人が見ると、おんなじことをしているなあ、と感じるのではないでしょうか。

岩手県は不思議なところです。宮沢賢治、遠野物語、奥州藤原家三代のミイラ、まつろわぬ民アテルイ。タイマグラの語源もアイヌ語かもしれないそうです。
そして、北上山地というのは途方もなく深い。昔、地質や地形の面白いところを巡りながら盛岡から三陸海岸まで行くというのに参加したことがありますが、行けども行けども広大な原野で、北海道かシベリアかどこかにいるような気がしました。タイマグラはそんな北上山地の奥深くです。

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