書評

2017年1月28日 (土)

「よろこびの歌」宮下奈都

同窓会の案内も来たことだし、青春群像小説で何か、と知り合いのレファランサーにリクエストしたら推薦してくれました。
直前に読んだ「脱限界集落株式会社」に比べると文学、という感じがしました。
「もしドラ」もそうですが、伝えようとする「話」があってそれを伝えたい場合に、最適な伝達手段として小説という形式を選択したにすぎないときには、文学的な「修辞」はノイズとして退けられます。
一方、文学としての快楽を提供することが主目的である場合には、「話」自体も、高い文学的快楽を提供するための素材の一つであり、「修辞」上の技巧の方により重きが置かれるでしょう。

「もしドラ」も最近いくつか読んだ地域おこし系小説も「話」は参考になりましたが、文学的快楽というのとは別物でした。

その点で、本書は、なんというか文学的な香りがするという意味で、文学を志向するという意味で、本格的な小説でした。

なにしろ、「話」の内容は女子高生の些細な挫折や屈託とその克服のきっかけ、といったようなものであるので、おじさんにとっては、ほぼ無価値。とりたてて仕事上女子高生と接する必要性があるとかといった事情もない。
なので、もっぱら修辞上の文学的快楽を味わいましたが、かよかったです。

思うに、私にとっては、この「話」と「修辞」とが3対7くらいがちょうどいい割合なようです。
これが0対10になって「話」が皆無で延々と個人的な心情を聞かされるだけだと、さすがに苦痛です。
かといって、10対0だと、話の中身を知るだけで文学的快楽は得られません。
ということで、話3・技巧7、くらいの淡い小説が、小説本体としては好きです。
例えば、井伏鱒二、国木田独歩と、夏目漱石なら草枕、といったところです。

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2014年11月 7日 (金)

「ムーミンパパの思い出」ヤンソン、小野寺百合子訳(講談社文庫)

これは名作です。最後の一句がしびれます。
「あたらしい門のとびらがひらかれます。不可能を可能にすることもできます。あたらしい日がはじまるのです。そして、もし人がそれに反対するのでなければ、どんなことでもおこりうるのです。」
ううん、深く、広く、鋭い。
翻訳者も解説者も引用していますが、深い余韻と含蓄が読んだものをとりこにします。
そして、ムーミンパパが著した「思い出の記」の最初の一句がまた美しい。
「わたし―ムーミンパパ―は、今夜は、窓ぎわにこしかけて、まっくらな庭の黒ビロードに、ほたるが、神秘的なもようをししゅうしていくのを、じっとながめています。」
ううん、詩人だ。
エピソードの一つ一つは輝きをもち、透明で、その連なりは、真珠の首飾りのように関連しつつ、だまにならず、軽く、深い。
絵も詩情あふれています。
すばらしい。なぜ今まで読まずにいたのだろうか。死ぬ前に読めてよかった、と思える一冊です。

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2014年8月27日 (水)

「イリオモテヤマネコ」戸川幸夫

論理明快ですが、やや我の強い強引な文体は、ノンフィクションではあくが強く感じられます。
新聞記者の文章という感じです。
常々、新聞記事は、2割程度の疑念を残しながら読むのがいい、と思っています。故意過失による虚偽記載はごく稀でしょうが、着眼点に記者の主観が入るのは避けがたいでしょう。さらに、各新聞社のカラーがにじみ出てくるものですし、もっといえば、新聞社も営利企業ですから、情報元となる政府やスポンサーとなる企業との関係も、頭の片隅にあるはずです。
この本も、新聞記事と同じように8分目程度に読むなら、当時の西表島の風俗が臨場感たっぷりに描かれていて、引き込まれます。
犬に関するエッセーもありました。
今日の感覚からするとかなりワイルドな場面もありましたが、全体に愛情が感じられて好ましく読めました。
性格が悪かったり、身体に障害があったりする犬は、人にやってしまう、というのが常識だった時代のことです。
今日、犬は完全に愛玩動物一辺倒になっており、人と犬との関係は、すっかりエレガントでデオドラントなものになっています。
それと比べると、犬が人間の生活の道具だった時代の付き合い方を色濃く残していて、時代の雰囲気を感じました。
「骨の影」は、狼に関する短編で、叙情豊かなシーンで動物小説の片鱗が窺われます。
戸川幸夫は今回はじめて読みました。
子供の頃に読む機会があればよかったと思います。
椋鳩十は、小学校のとき教科書で「大造爺さんと雁」を読みました。子供の頃なのですっと読めました。
大人になってから読もうとすると、いろいろ疑問が沸いてきて、素直に読めないと思われます。
なので、戸川幸夫の他の動物小説についても、これからでも読んだものか、読まないものか思案中です。

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2014年8月25日 (月)

「三陸海岸大津波」吉村昭

吉村昭の本は、どれも怖いです。
次々と人を襲う羆と住民の話、「熊嵐」、嵐の夜に塩を焼いて北前船を誘い難破したら積荷を奪う離島の寒村の話「破船」など。
 
記述が明瞭簡潔で本質をずばりと突いてくるからでしょう。
「いつの間にか闇の海上では戦慄すべき大異変が起こり始めていた。」
「遊佐巡査は、俗に伝えられる狐火かと背筋の凍るのを意識してたたずんでいたという。」
「海上の不気味な大轟音に驚愕した人々は、家をとび出し海面に眼をすえた。そこには、飛沫をあげながら突き進んでくる水の峰があった。」
過去の三陸の津波被害を記録しただけなのに、この本も怖くて、惹きつけられます。
読み終わって、今回の東日本大震災のあとどうなったのか少し見てみました。
田老町は、

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2014年8月14日 (木)

「雲の中では何が起こっているのか」荒木健太郎

雲をつかもうとする話。
その雲の中で水蒸気が水滴や氷になり、雨や雪となって落ちてくるまでに、エアロゾルが形成され、水滴や氷粒が衝突や分裂を繰り返して成長する様子などを親しみやすく解説しています。ダウンバーストや、日本海寒帯気団収束帯による豪雪など、新しい知識にも触れられています。
空の雲を見て天気の変化を予想したり、低気圧や台風との距離感をはかったりするのが昔から好きでした。
以前読んだ本(「雲と風を読む」中村和郎)では、雲生成の原因は、空気が上昇するときの気温の垂直変化について乾燥断熱曲線と湿潤断熱曲線と状態曲線とで、大気の安定、不安定が説明されていました。それは、単純化されていたのでしょうが、分かりやすく、すっと理解できたのですが、実際には、この本で解説されているような複雑な経過をたどっているようです。
最近は、観測技術も進歩し、大分いろいろなことが分かるようになってきたのでしょう。数式などを学ばなければ完全には理解できないのでしょうが、最先端の雰囲気を味わうことができました。

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2010年2月 6日 (土)

(書評)コケの謎

コケの謎 ゲッチョ先生コケを食う 盛口満

コケなんていう何ともとっつきにくい素材だというのに、自分のたどった軌跡を読者に追体験させる、その語り口が軽妙で、誰でも無理なく読み進めることができます。

それでいて、紙を折りたたんだ簡単な収容ケースの折り方が書いてあったりして、この本を読むだけで、採集がすぐにできるようになります。また、同定のしかたもなんとなくわかるようになり、また、参考文献を引用するのも、そちらも読んでみたくなります。サスガ。

こんな風にふとした好奇心を楽しくふくらませ、それを自分一人のもので終わらせるのでなく、後進にみちしるべを残す、というやりかたは、ぜひ見習いたいものだ、と思いました。

で、犬の散歩中に少しつまんできて、さっき撮ってみました。ピンボケ。簡単にわかると思ったら、結構難しくて、同定には、もう少し研究が必要です。
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2009年8月19日 (水)

【書評】アーネストサトウの日記

アーネストサトウの日記第12巻は、賜暇で帰国したサトウの生活。
前回の休暇から5年後が原則のところを父親の死を理由に1年半の前倒しが認められ、9か月の予定を2回延長の申請をして結局2年近くの休暇が認められました。
往復の旅費が支給される有給休暇とは大盤振る舞いのような感じもしますが、この休暇の使い方が、すごい。

毎晩のようにコンサート三昧、は、まあ普通ですが、聴いた曲のピアノ連弾の楽譜を買い込んで、友人とピアノで再現、となると、ただの音楽好きの域を超えています。

ヨーロッパ旅行に明け暮れる、というのも普通ですが、行った先のイタリアで家庭教師を頼んでイタリア語を学び、ドイツではドイツ語の法学の講義を聴講し、スペイン語の勉強に翻訳に挑戦したり、と、単なる観光旅行ではなく、駆け足の語学留学の連続です。

それだけではなく、弁護士資格も取得してしまう、という濃密な休暇とあっては、頭が下がります。
相変わらず、自堕落に終末を浪費してばかりの我が身を省みて、思うところ少し。

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2009年4月 8日 (水)

「狂雲集」柳田聖山訳(中公クラシックス)

狂雲集を読む。

頓智の一休さんの作品が500点あまり。確かに大変な智識であり、どんな設問にも的確に反応している。ただ、橋の真ん中を渡る的ななぞなぞではない。先達の僧の言動録の智識を駆使して表現しているということ。例えば、

婬坊に題す
美人の雲雨、愛河深し、楼子老禅、楼上の吟。
我に抱持啑吻の興有り、竟に火聚捨身の心無し。(140)

これなどは、ひょっとしたら、売春宿にしけこんでいたところを取り押さえられて、「生臭坊主め、売春宿にどんな禅の境地があるというのか」、と追及されたときに、とっさに出た、一休さんの答えなのかもしれない。

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2008年9月19日 (金)

「沈黙の春」レイチェル・カーソン

「沈黙の春」レイチェルカーソン(新潮文庫)

環境問題の古典にして教科書。初めて読んでみたが、なるほど鬼気迫る筆致でした。1950年代のアメリカでは、産官学一体のもとに次々と新たな化学薬品を開発しては、害虫駆除のため、膨大な量の空中散布を繰り返していましたが、本書はその問題を指摘し、最終的には政府を動かし、社会の進路を変更させることに成功しました。

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2008年8月26日 (火)

ハドリアヌス帝の回想

「ハドリアヌス帝の回想」ユルスナール

ローマ帝国5賢帝の3代目ハドリアヌスが、死に瀕して、5代目の哲人皇帝マルクスアウレリウスにしたためた、公式記録に載らないプライベートな回想録、という設定で、フランスの女流小説家が書いたものです。何しろ300ページ以上のモノローグは圧巻です。その内容は、最近の人の独白であるかのような現代的なもののように感じられますが、彼は卑弥呼よりも昔の時代の人です。でも、嘘っぽくない。事実、名宛人のマルクスアウレリウスは自省録を残しており、(実はまだ読んでいないのですが)、ラテン語の名文として、ヨーロッパ世界の古典となっていますが、それと比べても、違和感はなく、実際こういう書簡を残していてもちっともおかしくないと思います。多田智満子訳でしたが、わかりやすく、すらすら読めました。

そこに描かれているハドリアヌスの生涯とは、

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