京都

2012年12月21日 (金)

京都手帳

京都生活のバイブル、京都手帳を愛用しています。週末時間が空いたときには、行事をチェックして、ふらりと行ってみます。また、夜間公開などがあると、仕事帰りに寄ってみたり、などなど、おかげで、ずいぶん充実した京都生活を送らせていただいています。

11月当初、本屋の前を通り過ぎたら、店頭で来年版の販売開始らしく、おまけの品を配っていましたので、買い求めました。
あとでよく見たら、京都手帳ではなくて、京都毎日手帳でした。

装丁も中身もとてもよく似ています。ううむ。かなり類似商品です。そうしてみると、他にもいくつか出ています。最初に京都手帳を手にしたのも偶然だったのでしょう。まあ、他の地域にもあるようですし、著作物性は希薄なようです。どちらが魅力的な商品化の競争ということになるのでしょう。

しばらくして、12月スタートの京都手帳の方も店頭に並ぶようになりました。

そちらも買って、両方活用させていただいています。

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2012年12月18日 (火)

京都のクリスマス

暗くなってから京都駅前を歩くと、京都タワーが駅ビルに映ります。観光客が振り返って写真を撮っている姿をよく見かけます。
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クリスマスなので、隣に巨大なツリーが登場。
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こちらは、京都タワーと並んでそびえているのが映っているのではなくて、駅ビルの中にしつらえられたのが透けて見えるものです。
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それにしても巨大です。背景の階段は、普段は人が上り下りするところですが、壮大なイルミネーションになっています。

こちらは、外部の紹介記事です。ご参考まで。

繁華街も華やかなイルミネーションです。京都でクリスマス、というのもよそ者には場違いな感じがしますが、そこは、観光には抜かりがなく、アーティストも揃っているだけに、紅葉と年越しの間もしっかり楽ませてくれます。Photo

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2012年12月14日 (金)

京都のおいしいもの

洛中のおいしい老舗。

まずは、県庁西の醤油屋さん、澤井醤油
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近くを歩くだけで醤油のにおいが漂っています。
梯子を上って醸造中の醤油樽を覗かせていただきました。
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その少し南、二条城の北、佐々木酒造
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伏見の酒が有名ですが、洛中にある酒蔵といえば、ここ。日曜日はお休みなので、本社で買うなら土曜日に。
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最後は、北野天神近くの、とようけ豆腐。とようけ茶屋は、雨の中だというのに大行列でしたが、豆腐を買うだけならすぐ買えました。
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余談ですが、京都に引っ越すことが決まって、ともかく通り名を覚えようと、あちこち探して、こちらのホームページに行きつき、プリントアウトさせていただいて、壁に貼りました。とうじは、有名なお店とは知りませんでしたが、たいへん助かりました。

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2012年12月 7日 (金)

京都の紅葉(その2)

妙心寺に行きました。
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妙心寺の境内は、通り抜け自由。
多くの塔頭が並び、修行の場、生活の場となっています。ベビーカーを押して門をくぐる若いお母さんがいたり、ちょうど通りがかった郵便屋さんに声をかけながら受け取っているおばあさんがいたり。

近くに高校があるらしく、同じ制服の学生が次々と通り過ぎます。こういう通学路を往復する生活を送ると、自然に文化を見る目が養われるのだろうな、と思います。それが確かな自信となって、しなやかなのに筋の通った京都人に成長していくのだろうか、などと考えてしまいます。

境内は、まとまった広さのある昔の世界。電線を地中化して、側溝を生け垣の裏にしたりすれば、常設の時代劇のセットになりそうです。

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塔頭の大法院に入りました。
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妙心寺のホームページのQAには、「松の木が多く、桜などの花見をご期待されると、多少がっかりされるでしょう。」とあるように、松が中心ですが、紅葉の見事な塔頭もあります。

(ちなみに、このホームページは充実していて、親切でわかりやすく、出家の仕方などもあって参考になります。)

大法院は、紅葉の時期だけ公開され、600円でお抹茶を頂けます。
アミューズメントパークのように通俗さが鼻につく寺社も多い中、妙心寺は商売気がなく、地に足が付いている感じがして、安心できます。Photo_4

おまけは、屋根の上の、かわいらしい獅子。
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2012年11月30日 (金)

京都の紅葉

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大混雑が懸念されるので、ちょっと早い時期に、紅葉見物に行きました。まず、大徳寺。広い寺域を散歩していると、白い塀の上にモミジが見えたりして、いい雰囲気です。

高桐院に入ってみました。
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方丈の庭園は、枯山水ではなく、緑の苔が柔らかな印象。ぽつんとある灯篭に何ともいえぬ味わいがあります。

この灯篭、千利休愛蔵のもので、秀吉に所望され、渡さないために一部を打ち壊したものだそうです。利休は、素性の知れない一見さんは、いくら金を積まれても通そうとしない意地っ張り京都人の権化のような人なのでしょう。

その美を理解できないのに、権力にものを言わせて自分のものにしようというような仕打ちに対しては、国宝でも破壊してしまおうという熾烈さをみると、ともすると傲岸にも感じられる京都人のふるまいは、実は、日本文化の管理人を自認し責任を負っている重圧によるものだったのか、などと納得したりします。

もっとも、堺出身の利休、頭に血が上って逆らった挙句に切腹を命ぜられるようでは、まだまだ京都人のしたたかさには達していなかったということなのかもしれません。

利休は切腹の際に、この灯篭を細川三斎公に、たぶん無償で、遺贈しました。それで、本物は細川三斎寄進のこの高桐院の細川家歴代の墓の入り口に安置されています。
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細川三斎という武人は、ガラシャ夫人という明智光秀の娘でキリシタンというやっかいな正室を持ち、利休の助命をしたりとすれすれのことをしながら、冷静さを失わず、足利、織田、豊臣、徳川としなやかにしのぎ切ったネイティブ京都人でした。

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さて、方丈西側の路地庭が、茶人細川三斎の粋を感じさせる温かみのあるすばらしいものでした。

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これは、礎石を手水鉢に転用したもので、三斎公お気に入りで、参勤交代の際には、持ってこさせたとか。文化人の主君を持つと、家臣もたいへんです。

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このエントランス、真っ赤に紅葉したところはJRのポスターになってます。その頃は、賑わうことでしょう。

黄梅院にも行きました。撮影禁止でしたが、解説付きで、利休作の庭があって、枯山水風の路地庭で面白く、本堂の前の枯山水の破頭庭という庭も、手前側を白砂で明りとりとし、奥に苔庭を配して石と木を簡単に配した簡素で潔いもので落ち着きます。

天井の高い庫裡も見学できました。おくどさんの上に、例の、愛宕神社の「火迺要慎」の護符が。きっと、神道は、他の宗教とは競合しないのでしょう。

 

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2012年11月23日 (金)

洛中洛外変なもの(その2)

お隣さんとぴったりくっつける京都の町家。お隣さんが取り壊されると、壁に痕跡が残ります。

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こんな眉毛みたいなのも。

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うなぎの寝床の町家を取り壊すと、細長い空き地になります。
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昔ながらの町家だと、こういう場所でも、坪庭があったり、濡れ縁の渡り廊下で連結したりと、結構明るくて風の通る住まいになりますが、普通の建売住宅にするのは難しそう。

おまけにもう一枚。裏はお寺の墓地で、自転車1台入るくらいの倉庫が取り残されていました。

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2012年11月16日 (金)

愛宕山

文化の日、愛宕山に登ってきました。
「火迺要慎(ひのようじん)」とある愛宕神社の火伏札は、お店やら事務所の流しやら消火栓やら、京都中にべたべた貼られていますが、この山のてっぺんまで歩いて登らないと手に入らないのです。
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崇徳院が呪詛を行ったとされたり、明智光秀が本能寺に向かう前に戦勝を祈願し、意味ありげな句を残したり、と霊験あらたかな場所です。隠遁地嵯峨野のはるかそのまた奥の密林原野の立地だったからでしょう。

ところどころ紅葉が始まっていました。
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鉄道唱歌に出てくる東京の愛宕山のような観光地かと思っていましたが、そういうちゃらちゃらした茶屋などは一切なく、山頂の神社に社務所があるだけで、道中も、2時間ひたすら登るハードなものでした。
以前は、かわらけ投げなどの娯楽もあり、落語にも出てくる観光地で、ケーブルカーもあったそうですが、戦争中に撤去され、それ以来、静かな霊山に戻ったようです。Photo_4

3歳までに登ると一生火事に遇わないのだそうで、その関係なのか、保育園の遠足でもあるらしく、小さい子供を連れた家族がたくさん登っています。元気に駆け回る子供もいますが、足を引きづり抱っこをねだる脱落寸前の子供が、おだてられ励まされている姿の方がはるかに多く、中には完全に脱落して、親が荷物を直すのにちょっと地上に下ろされただけで大泣きする断固拒否型も見受けられました。
子供は、以前は、その辺の野良に放任されていたので、このくらいはへっちゃらだったのかもしれませんが、ベビーカーと自動車で移動する現代においては、通過儀礼としてはちょっと過酷過ぎるようです。
それでも登らねばならないのは、習わしの多い京都生活の窮屈な一面なのかもしれません。
どちらかというと、二度と登山はいやだ、となる子の方が多いのでは、と他人事ながら危惧されます。
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水尾に下りました。
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柚風呂に浸かって、鍋をいただきました。保津峡駅まで送っていただきましたが、険しい山中をしばらくかかりました。保津峡駅自体も険しい峡谷の中の何もないところですから、水尾というところは、まさに山上集落の柚の里でした。

帰って、早速、部屋の台所に貼りました。
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ついでに、祇園祭の粽を取り出して玄関に飾ろうとしましたが、
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これは、だめでした。共用部分なので撤去するよう早速管理人さんに指導を受けました。ごもっとも。

他に、財布には壬生狂言の土蜘蛛の糸の軸の鉛も入っています。送り火の残り炭などなど、京都生活の縁起物はきりがありません。

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2012年11月 9日 (金)

たいたん秋編

京都といえば、生麩。
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こちらは、近所の麩藤さんの粟麩の田楽。

甘長唐辛子と一緒にバター醤油炒めにしてみました。
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フライパンで麩に焼き目をつけていったん取り出して、甘唐辛子を炒めてから戻して醤油をかけ、水を回して味をつけて出来上がり。

あと、最近のマイブームは、揚げ麩を千切りにして胡瓜と和えたもの。

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揚げ麩は、五条大橋の半兵衛麩では、ただ、揚げ麩、と売ってますが、この六条通りの麩藤では、「六条麩」としています。錦市場の麩嘉では「利休麩」とありました。どれも、醤油などでしっかり味をつけて胡麻油で揚げた濃厚なもので、そのまま生野菜と和えるとおいしいサラダになります。

もみじ麩をインスタントみそ汁に入れてみました。
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おいしいのですが、沈んでしまうと何も見えないので、やはりお吸い物の方がいいようです。

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2012年11月 2日 (金)

洛中洛外変なもの

散歩をしていたら、立派な和風の門に、聖ドミニコ会女子修道院との表札。
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立派な門だと、ついお寺のような気がしてしまいますが、和風建築がお寺とは限らないので、修道院だって別にかまわないわけです。でも、ちょっと、不思議な気がしました。
向かって左の額には、「わたしの中にキリストは生きている」と。装丁といい、筆致といい、内容といい、これは更にお寺の門でよく見かけるのに似ているような気がします。

隣には「聖トマス学院」
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場所は河原町通りを今出川から下がって鴨川の方へ一本入ったところ。

その2、飛び出し注意の看板。
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バリエーションがいろいろあって面白い看板。先日のタモリ倶楽部でも取り上げられていましたし、先達の研究者はいそうなので、あまり踏み込みませんが、琵琶湖岸には結構いろいろいありました。京都でも、北山の住宅街に行くとあちこちに見られます。

その3 コシダ
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大文字山から蹴上まで歩いた時、群落がありました。
シダというのは、羽状複葉の1本の大きな葉っぱが地下茎から出てくるのが基本だと思いますが、この別れ方は変わっています。
これだけでどう変わっているのかピンとこない方には説明不足でしょうが、説明しようとしても長くなってしまうので省略してしまいますが、ともかく変わっているんです。
「コシダ」のようですが、だとすると、西日本では普通にあるそうです。
葉っぱがどんどん枝分かれしているように見えますが、軸の部分は、やはり茎ではなくて葉柄にあたる部分なのでしょうね。

最後はちょっと脱線でしたが、古いものを大切に活用する土地柄のせいか、他にも、ちょっとレトロな変なものはたくさんありますが、また出したら載せます。

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2012年10月26日 (金)

壬生狂言ふたたび

10月の連休、壬生寺で壬生狂言が上演されます。
春4月の上演をやや偶然見て以来、お盆の六斎
念仏など、あれこれ見てきましたが、秋の壬生狂言も見にいって、5番と最後の棒振りまでたっぷり堪能しました。

最初は「賽の河原」、仏教説話物です。

生前悪いことをしたのが閻魔大王にばれて、鬼に舌を抜かれ、釜ゆでにされ、むしゃむしゃ食べられてしまいます。最後は、壬生寺の御本尊でもあるお地蔵さんに救われて、杖にすがって成仏、というストーリーです。
亡者は、絶えず手を胸の前で震わせて恐怖を表現しています。真っ赤な舌を抜かれたり、茹であがると釜から出てきたのは縫いぐるみで、恐ろしいながらもユーモアがあるのが面白かったです。

2番目は「土蜘蛛」、アクション物です。
京都にいくつかある念仏講の団体のどれもが上演する演目ですが、解説本によると、この壬生狂言が一番たくさん糸を出すのだそうです。舞台からダイブすると、思わず客席がどよめきます。
3番目は「大仏供養」、シリアス物、悪七兵衛景清が主君の敵、源頼朝を討とうとする話です。
第1幕は、旅姿で老母に暇乞いする場面。
母親は、面は白髪で、衣装は質素なもの、座る姿も武将とは違う凛とした風情。
一方の景清は、赤ら顔で上背もあり一直線な豪傑風。
その対比が象徴的で、老いた母と、死地に向かう息子との別れの情景をよく表しています。
ついに、老母が説得され、水杯で送り出すに至る場面は、感動してしまいました。民俗芸能と侮ってはいられません。能よりは具象的ですが、別離の悲しみの様式化された表現に、思わず引き込まれてしまいました。その後、大げさに抱き合って別れるのは、新劇風過ぎてやや興ざめでしたが、これも西洋演劇とは違い飽くまでクールな狂言ならではの演出なのかもしれません。
第2幕は、竹箒を持った神官姿で、頼朝一行に切りつける場面ですが、登場人物の面と装束がそれぞれの性格と役回りをよく表現していて、なるほど、と思いました。
まず、頼朝は、春の演目の「焙烙割」に出てくる代官と同じ生真面目で融通の利かない為政者風。
次に、筆頭の家来、畠山重忠は、面は頼れるおじさん風で、衣装も鮮やかだけれど温かみのあるもの。結局このおじさんの計らいで命は助かることになります。
そして、その部下2人は、びしっとした黒地にきりりと白く鳥や唐草の文様のある長袴で、面もいかにもこわもてで、ひたすら強くて怖そう。
その手ごわそうな面々が酒盛りをしている前で竹箒を振りながら、近づいては思いとどまり、を繰り返しつつタイミングを窺う景清。迫るたびに、一同の胡散臭げな視線が痛い。
意を決して短刀を抜くが、畠山重忠に遮られます。
頼朝は討つように命じて下がり、重忠以下の3人が、袴をたくしあげ、上掛けを脱ぎ捨て、裃をめくり、襷をかけます。この、戦闘態勢を整えるのに時間をかける演出によって、対決が不可避になるところまで景清は追い込まれていきます。
ロミオと
ジュリエットで、ロミオがティボルトを殺してしまい両家融和の途が途絶えるのを思い出しました。

見ていて思ったのは、狂言というジャンルにおいては、主役は、大将の源頼朝ではなく、家来の畠山重忠以下と景清とになります。「賽の河原」の閻魔大王、「土蜘蛛」の源頼光、「焙烙割」の代官も同じで、主君というか為政者は、主役ではなく、ストーリーの中心は、被支配者の側である市井の一住人或いは抵抗勢力、と、支配者の側についた家来、ということになります。つまり、狂言の基本構造は、「支配者」と「被支配者」と「支配者の従者」の3者の物語、という図式で、このうち主役になるのは、「被支配者」と「支配者の従者」の2者、のようです。これは、いってみれば「支配者」が存在することによって、期せずして「被支配者」と「支配者の従者」とに色分けされ、互いに争うことになってしまった同じ庶民の物語、と一括りにできなくもないと思われます。
穿った見方をすれば、支配者が変遷する中、身を滅ぼさないように立ち回らなければならない、京都町衆の処世術を示唆しているのかもしれません。
4番目は「大原女」、コメディー物です。
美人三姉妹を連れた肝っ玉母ちゃんと、花見に来た旦那のお供の男との絡みが中心です。途中で男女4人のダンスもあり、華やかです。
5番目は「橋弁慶」、世俗劇です。
千人切りをしているのは弁慶ではなく牛若丸の方になっていて、制止を振り切って戦いを挑む弁慶が負けて家来になる、ということになっています。
繰り返す殺陣シーンで盛り上がりますが、どこか滑稽です。
牛若丸は、殺陣の度に持っていた扇を放り投げるのですが、一度、その扇が舞台の下に落ちてしまい、後見がダッシュで取りに行くという場面もありました。無事、次の殺陣の前までに牛若丸の手に戻りました。
最後に、「棒振り」、能でいう「翁」のような儀式的なものです。
全キャストが直面で現れ、「チョウ、ハッ、サッサイ」と、意味は分からないらしい掛け声をかける中、棒を振ります。にわかに京都風、祇園祭風になります。
先日見た六斎念仏の棒振りは、アクロバティックすぎて、見ていて身の危険を感じましたが、今回のは、曲芸ではなく、お祓いの色が濃い締めの一幕でした。
最後は、秋の日がだいぶ翳り、涼しくなっていました。黒雲が広がり、冷たい風が吹きつけるようになっていました。

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