ベトナム

2015年10月18日 (日)

ベトナムからの葉書

ついに届きましたか。。。

ベトナム旅行中、土産物屋で、絵はがきを買ったら、切手はどうする?と聞かれ、頼んだら枚数分の郵便代金だけ取られ、「あとで持ってきたら出しといてやる」と言われたそうです。
まだ書いてないのに。

翌日、せっせと全部に文面を書いた葉書を持ってその土産物屋にいったら、ああ昨日の、という感じで預かってくれました。
ここまではよかった。郵便代など知らぬ、と言い放たれかねないところでした。

でも、帰国してしばらくたっても届いた気配がありません。

おおかた、引き出しにでも入れっぱなしで、最近発見したので、律儀に?郵便局に持っていって手配してくれたのでしょう。

こうなっちゃったら切手代をネコババもできたでしょうに。

こういう、中途半端な安請け合いの好意と、途中で想定外のチョンボをしでかすおっちょこちょいと、最後は帳尻を合わせる誠実さとが、ベトナム人気質をよく表していて、笑えました。

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2015年9月11日 (金)

ベトナム紀行2015(その6終)濃厚な日々

ある日は、浜辺でのんびりビールを飲んで過ごしていたような気がします。
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でも、よく思い出せば、その前は、港でドリアンを買って、切ってもらって食べていたし、その前は、振り飛ばされそうになりながら手すりにしがみついてボートで島に渡っていたし、島では泳いだり、ウニやナマコを買って料理してもらったりしていました。

ある日は、フランス統治時代の避暑地跡で、蝉しぐれの中、木々の深い緑が、霧に覆われたり日差しに輝いたりするのを眺め暮していた気がします。
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でも、よく思い出せば、ラグーンの輝く日の出を見て、渓谷を岩伝いに歩き、ヒルを振り払いながら森の中を行き、夕立にずぶぬれになったりしました。

ある日は、ハノイの旧市街のパーラーで、通りを往来する菅笠に天秤棒のおばちゃんやら、家族4人乗りのバイクやら、荷台にバインミー用のパンの山と中に入れる具のケースとを積んだ自転車やらを眺めて過ごした気がします。
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でも、詳しく思い出せば、バイクの流れに翻弄され続けながら、朝食のフォー屋さん、カフェ、活気あふれる市場、本を探して本屋さんを3軒はしご、フェアトレードの藍染店、民族博物館を巡り、今回のツアーを手配てくれたオフィス見学までして、スーパーで買い物して、ホアンキエム湖を見下ろすレストランでディナー、最後にメトロポールホテルでカクテル、ということになって、とても書ききれません。

数か月間かかるところをわずか1週間に詰め込んだのでこういうことになります。 ぜいたくなのか、もったいないのか、でもまあ、しがない勤め人の分際とあっては、これは仕方のないことなのでしょう。

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2015年9月 6日 (日)

ベトナム紀行2015(その5)戦争と平和

2年前も激戦地の浜辺にあった、村が移住してきたようなトンネル網を見学しました。

今回は、ベトナム中部、海を見下ろす高地、バックマー(白馬)国立公園に行きました。
植民地時代、暑さに辟易したフランス人が、避暑地としてたところです。
折しも日本を出るときは猛暑に辟易していたのですが、確かに、この高地に来て、思いがけず上に羽織るものが欲しくなるほどの涼しさでした。
山頂直下まで車で上がることができますが、当時は、ともかく人海戦術で、立派なヴィラが建ち並び、プールまでしつらえていたそうです。
確かに山頂付近にも水量のある渓流があり、7つの滝とそれぞれ滝つぼの池を巡る渓流沿いの山道を散策しました。
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やや湿度が高めではありますが、クーラーを利かせたような空気は、クーラーのない時代には、どんな薬よりよい効能があったことでしょう。
戦後は荒廃し、ヴィラも大部分は遺跡となりました。0209
ところが、ベトナム戦争が起こると、米軍ヘリの基地となりました。
何しろ細くなったベトナムの海岸線を一望できる崖の上という場所でしたので。0301
ところが、そのヘリポートの足元にベトナム軍もトンネルを掘って基地としていたというから驚きです。
時々出撃して被害を与えたとのこと。
米軍は終戦までそのことに気付かなかったとか。0202
煙が出るので煮炊きはできず、ジャングルをかいくぐっての補給ということになります。
観光客の歩く遊歩道を外れて山道となるとヒルに襲われるようなジャングル、命がけのかくれんぼには、シビアな世界です。
直接の関係はありませんが、帰国してから足首の傷が化膿し、適当にしていたら、だんだん傷口がえぐれるようになってきました。いってみれば、肉が腐り始めたということでしょうか。
もちろん、消毒してガーゼを当て、清潔にしてはいたのですが。
どうしようもなくなって医者にかかって抗生物質の飲み薬を処方してもらってやっと治りました。
十分清潔にしていたとしても、時折うっかりぶつけて悲鳴をあげたりしました。ちょっとした傷なのに自力では回復しない、これがジャングルに寝起きするとなると、どうなっていたことか。
今回、密林に分け入るということで、虫よけなどいろいろ気をつけはしましたが、機関銃に狙われたり手りゅう弾が爆発するような心配はありません。
こういうところで平和のありがたみを実感しました。

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2015年9月 2日 (水)

ベトナム紀行2015(その4)フルーツ王国

同行者が果物好きだったおかげで、今回はフルーツ三昧でした。

ホイアンの夜市で天秤棒のおばちゃんを呼びとめてマンゴスチンをお買い上げ。
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翌日、島のランチの時にいただきました。
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港では、ドリアンを切ってもらって食べました。やはり、ドリアンは、屋外で買い求めてその場で食べてしまうのがいちばんいいようです。それでも、座ったら、隣の人が鼻をつまんで逃げ出してました。
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それから、ドラゴンフルーツの赤いの。
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珍しいのでは、お釈迦様のパンチパーマのような形の釈迦頭。これも甘くておいしかったです。
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ほかにも、ザボンのような皮の厚いみかんも食べました。

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2015年8月31日 (月)

ベトナム紀行2015(その3)ジャングルは賑やか

2年前は、9月のベトナム北部のクックフーン国立公園でした。今回は、8月のベトナム中部のバックマー(白馬)国立公園ということで、密林の様子も少し違っているようです。

蝉の声は、アラーム音のようなサイレンのような、なんともいたたまれなくなるような迫力でした。
岩にしみいる日本の蝉が穏やかに感じられます。
そして、鳥では、喉が金色の人懐こい華やかなのがよく鳴きます。
名物ガイドのおじさんが鳴きまねをすると寄ってきて鳴き交わします。
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夜は、フクロウの類、網戸にヤモリ、など。
松の幹の方から聞こえる、カチッという機械音のようなのは、虫なのか鳥なのか分かりませんでした。
このほかにも、鳥類、蝉、蟋蟀の類ばかりでなく、爬虫類なのかサルなのか、何も分からない声もします。
一日同じところにいても、昼さがり、夕暮れ、夜、夜明け、と、時間によって、聞かれる声も移り変わっていきますが、ジャングルは片時も沈黙することはなく、賑やかでした。
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2015年8月28日 (金)

ベトナム紀行2015(その2)工事中の国

ベトナムはいつでもどこでも工事中。
広い国道1号線は、たまに全線平らに舗装されている箇所もありますが、すぐに片側工事中となります。交通整理もなく唐突にコーンが1個立った先は、いきなり段差、そして砂利。
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そのたびに、車の流れは右へ左へ蛇行し、車線が半減して急流となります。
斜線といっても分離帯どころかラインも引かれてないところを対面通行。
巨大なコンテナ車や整備不良のダンプカーを大型バスが追い越し、隙間をバイクがちょろちょろするカーチェイスになります。
これだけ酷使されれば、アスファルトも修復している傍からぼろぼろになってしまうのでしょう。

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工事中といえば、夏休みシーズン中だというのに、ビーチの入り口に不粋なショベルカーが鎮座していたりします。
砂浜が削れるのを土嚢で食い止めているようなのですが、閑散期に短期集中的にやるとかした方がいいものを、と思ってしまいます。
町中にも街道沿いにも、建築中だか取り壊し中だかの建物が目立ちます。
柱と床だけで壁がない建物。廃墟かと思いきや、職人さんが屋根瓦の手入れをしていたりします。
きっと、早送りにしてみると、徐々にできあがっていくのでしょう。

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2015年8月26日 (水)

ベトナム紀行2015(その1)2年の月日

2年ぶりでまたベトナム旅行をしました。

前回工事中だった空港ターミナルとハノイまでの新しい道は完成しており、心なしか荒い運転も穏やかになったような気がします。
前回は、懐かしい一昔前の日本の風景、といっても、水牛が田を耕し、牛が道をふさぐような、現実に見たわけではない明治大正頃の風景でした。
それが、今回は、日本では、私の子供のころの風景になっていました。
国内線の飛行機に乗りましたが、空港も外国人や一握りのセレブだけの空間ではなくなっており、頑張って家族で夏休みに飛行機に乗って旅行に、という風の一般庶民が見られました。
ビーチも、ホテルのプライベートビーチだけではなく、少し離れれば、ローカル向けのビーチもあり、国内旅行者や若者の一団がたくさん遊びに来ていました。
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2013年10月 7日 (月)

ベトナム紀行(終)ハノイでのラストナイト

ハノイに戻って、友人のお宅で休憩。コロニアルでムードのあるお宅ですが、床はかなり傾いています。

夜は、たまたま今日からベトナム旅行という別の友人と会食。ベトナム料理がいい、となると、また道端。ベトナム料理は野菜中心で、中華料理風の炒め物も、フランス仕込なのかよく煮込んだスープもおいしくて、スパイス類も、タイ料理ほどこてこてではないので、日本人の口に合うものばかりだと思います。

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日本は、衛生的で安全でプライバシーが守られ、静かで秩序のある社会になりました。しかし、その反面、それぐらいいいんじゃない?ということでもグッと我慢しなければならない場面も多く、何かと息苦しさを感じることも多くなりました。

 

そういうデオドラント社会の住民は、火気や刃物を使えないし、変なおじさんをやり過ごすこともできないし、ちょっとしたトラブルでも自分たちでは解決できなくなってしまっているようで、まだるっこしい思いを抱かないでもありません。

 

インフラが整備されすぎると、生活能力がなくても生きられるので、住んでいる人の生命力が衰えてしまうのではないか、そんなことを感じながらベトナムを後にしました。

 

ここベトナムでは、建物でもバイクでも、壊れたら直し、都合のいいように改造して、自己責任で好きなことをしています。

でこぼこ道を疾駆し、道路を占領して商売して、お互いに迷惑を掛け合いながら、何となく収まって暮らしていくことができます。

 

インフラ未整備な状態にあえてしているわけではないでしょうが、きっと、デオドラント社会への志向が弱く、自由を守ろうという志向の方が強いのでしょう。

 

安全社会の息苦しさと、自己責任社会の自由さと、どっちも程々がいいかなあ、と思いつつ、またちょくちょく、ベトナムに生命力を注入してもらいに来たいなあ、と思いながら、ベトナムを後にしました。

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2013年10月 6日 (日)

ベトナム紀行12古都フエ点描

朝6時、川辺のテラスで朝食。

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すぐに世界遺産の王宮へ。

正方形の堀や池に囲まれた遺構で、重厚な建物に入ると最初こそひんやりした感じがしましたが、8時前からもう暑くて動きが鈍くなります。

電気自動車で案内してくれるというのに飛びついて、風を切って涼しく回りました。

建物の中は漢詩の一句のような漢字が多く、生活の場として使われていたようで、浮ついていない落ち着きが感じられました。

その後、タクシーでドンパ市場へ。

雑貨、果実、穀物、海産物、肉などがびっしりと。
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お土産に、蓮の実、干し海老、どんこ、簾地のランチョンマットを買いました。

干し椎茸はベトナム語でもdonkoとなってました。

肉も穀物も剥き出しで大迫力でしたが、開いた穀物袋の上に、食べかけの丼を置いておいたりして、暢気なものです。

まったく、ベトナムの人は外で食べるのが好きなのか、道端でも店先でも作業場でも、どこでも食べているようにみえます。

わき見しながら歩いていると丼を置いた踏み台みたいのを蹴倒しそうになるし、わざわざ玄関先に出てきて下半身裸の子供の口にご飯を運ぶ母親もいます。

一人で食べるなら、せめて皆が見えるところで食べたい、と思っているのでしょうか。

 

さて、お昼ご飯は、お店屋さんお勧めのフエ料理の店へ。

人力自転車のシクロに分乗して。
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二人まで運んでくれます。華奢なおじさんの脚力に脱帽でした。

フエの庶民料理は、海老や肉を餅でくるんだのを葉っぱで何重にも包んだもの。

紐を解いて、葉っぱをめくってもめくってもまた葉っぱ。中から大切そうに小さい粽が出てきます。ちびちび色々食べて満腹。おいしかった。

ぶらぶらと真昼の町を歩いて宿へ。

だいぶ歩いたところで大きなフォン川の対岸に目指すホテル。橋はだいぶ先。

ホテルから渡し舟が見下ろせたので、川に近づいてみると、船の中にテレビがついています。渡すか、と聞いてもらうと、中から、子供ばかり5、6人出てきました。渡す、ということになったようです。親を呼ぶでもなく、この子達が運んでくれるとのこと。商談成立して、あれよあれよという間に、陸に上げてあった船をひっくり返して浮かべ、岸に寄せてくれます。
乗り込むと、子供たち4人がかりで漕いでくれて、大雨の後の川は流れが急なのに、存外腕は確かで、すいすい対岸へ。

上陸地点を探しながら今朝のテラスの下の植え込みの先を進むと、小道があって、無事上陸。
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半日の滞在中、とても濃厚なフエの旅でした。

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2013年10月 5日 (土)

ベトナム紀行11古都フエの夜

洞窟探から180度趣向が変わって王宮のあった古都フエへ。

夕暮れの川岸のシックなホテル。
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熱帯の川のロマンチックな黄昏を見渡してから、王宮料理を食べに旧市街へ。

こちら側6人に対し、楽団6人が対面して演奏してくれます。

笛、一弦琴、胡弓、ギターのようなの、カスタネットのようなの、鈴のようなの。

アオザイの美女のダブルボーカル。
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いつ食べていいものやら、どぎまぎするうちに、宮廷の召使のようなおばちゃんが慣れた手つきで遠くから器用に盛り分けてくれます。

料理はにんじんなどを鳥や竜の形に切ったのの上に料理が盛られているというもの。

奇をてらったものではなく、どの皿もおいしかったです。

店は黒檀のような黒光りする彫刻の施された柱や欄間のあるバルコニーで灯りに庭木が照らし出される重厚な造りで優雅な雰囲気満点。

移動中に手を尽くしてセッティングしてくれたものでした。

帰り道、川沿いの夜市を冷やかして、それぞれお買い物。売り物は、

子供だましが多いけれど、「ベトナム製」は日本にたくさん入ってきています。きっと、ベトナムの人は、手先が器用なのでしょう、どれも手が込んでいて面白いです。
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部屋に戻ると、中秋節の名残か、陽気な音楽と喧騒がいつまでも。

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